Piyo Bible Ministries

 
 
 
 
 
 

ちょうど60年前の今日(現地時間:1956年1月8日(日))、エクアドルの奥地、アウカ地域のアウカインデアン(ファオラニ族:Waodani)への伝道を開始し始めた、ジム・エリオット宣教師たち 5名が現地住民に殺害されました。

 

このことを契機として、五人の宣教師の残された夫人たちはその後子どもたちを連れて現地に渡り、「アウカ伝道会」を設立して夫たちを殺害した人々に福音を宣べ伝え続けたのです。

 

2000年に日本福音同盟(JEA)が主催した、沖縄での「日本伝道会議」には、ジム・エリオットの妻エリザベス・エリオットさんが講師として来日され、証しとメッセージをされました。
 
私(井草)も、直接、会場でお聞きすることができたのは、感謝なひと時でした。
 
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<写真(上段)と、本文>
* Benjamin Corey_facebook-2015-0108  より
 

Today I remember Jim Elliot, Ed McCully, Roger Youderian, Pete Fleming, and Nate Saint. These men were 5 missionaries who became Christian martyrs, 60 years ago today, after making contact with the Waodani of Ecuador.


Waodani culture relied heavily on an eye-for-an eye justice. Conflicts and disagreements were often dealt with through spearing one another to death- a vicious cycle that always invited further retaliation to the point where everyone seemed to have a just reason to kill someone else.


More than anything, Jim and the others wanted to introduce the Waodani to the ways of Jesus of Nazareth.


When they finally made contact with the Waodani, the first few days went well. But their excitement was short lived, as on the sixth day they realized some of the Waodani were preparing to spear them to death.


Jim Elliot had a gun in his pocket, but he refused to use it against them. Showing them what Jesus was like was a far higher priority than living-- so the five men kept the promise they had made to each other: they would not use their guns if the Waodani decided to kill them.


And so, Jim, Ed, Roger, Pete, and Nate, were speared to death on that day.


Their wives continued reaching out to the Waodani, who eventually wondered what message of love was so important that these men were willing to die-- but not to kill. Many of the Waodani became Jesus followers, and to this day they are a peaceful tribe-- in large part due to the love and sacrifice of these five men and their families.


In fact, Mincaye-- one of the original killers-- has now become a grandfather figure to Nate Saint's grandchildren.


Be not deceived my friends: for those of us who are part of the Kingdom of God, living and preserving our own lives is not the highest priority. In fact, sometimes it is our willingness to die that can birth a beautiful Kingdom revolution. Don't believe the lie that nothing good can come of willingly dying instead of killing-- the legacy of these missionaries and the fact that the Kingdom of God has transformed the Waodani, stands as proof.


Perhaps it is best said by Jim Elliot himself, as was discovered in his journal after his death:


"He is no fool who gives what he cannot keep to gain what he cannot lose."


May the God of Abraham, Isaac and Jacob be with you, Jim, Ed, Roger, Pete, and Nate.


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『ジャングルの殉教者』
 エリザベツ・エリオット 著
 川端光生・樋口章代 訳
 発行所: いのちのことば社

    (2000年4月25日 発行)
  

「ジャングルの殉教者」の訳者の川端光生先生が「編集者あとがき」に以下のように記されています。
 
 
 ・「宣教師道とは、キリストと共に死ぬことと見つけたり」
 

この辺りが、宣教師、牧師、主の働き人としての兄弟姉妹を問わず、21世紀の日本宣教、世界宣教で必要な「弟子の生き方」なのではないか? と思わされます。

 

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「・・・五人の殉教は、人命以上に大切なものはないと無条件に信じきった時代から見れば、なんたる人命軽視と言うことになるのだろう。賞賛より非難の対象になるかもしれない。しかし、これは七十年足らずで消えてしまう地上の命よりも貴いものがあると確信した人たちの物語である。この世の命だけに執着し、現世がすべてであるという考え方に立つならば、とうてい理解できない出来事であろう。

著者のエリオット夫人も「世間では、五人の青年が無駄死にした悲劇と受け止めることだろう」と述べている。

 

 彼らはあらゆる武具と福音の武器を携えたキリストの兵士だった。キリスト愛し、自分を神の消耗品と考え、敵を愛し、そして実際に敵のために命を捧げた信仰の勇士たちだった。山本常朝の「葉隠」流に言えば、「宣教師道とは、キリストと共に死ぬことと見つけたり」である。

 彼らはファオラニ族のために、訓練され洗練された若き命を惜しみなく注いだ。彼らは賜物豊かな人たちで、生きていればハドソン・テイラーやビリー・グラハムのような宣教師、伝道者として用いられただろう。あまりにももったいない。しかし、もったいないと思えば思うほど、私たち罪人のためにひとり子キリストを十字架につけられた神の犠牲の大きさに思い至る。・・・・」

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日本ウィクリフ聖書翻訳教会 資料室 より (2000年)
 
その後の“アウカ”、福田崇
 

 “アウカ”の人々は、自分たちのことを、昔から“ワオラニ”と呼んでいました。 これは、“私たちは人間”という意味です。世界のどこに行っても、人間は誰でも自分が人間であり、 他の動物とは異なる存在であることを自覚しています。 しかし、外部の人間は彼らを、“アウカ”と呼んできました。 これは、“槍で殺す野蛮人”という意味です。ワオラニ族は、エクアドル国内の東側、 アマゾン・ジャングルのはずれ(最上流地帯)に住む、人口800人の部族です。 彼らは、「外の世界の人々は、自分たちを食べようとしている食肉人種である。」と信じて、 外部とは一切の接触を断ち、孤立し、自分たちの領域に近づく人々を、すべて殺していました。 そのため、外部の人々は、彼らを“アウカ”と呼び、恐れていました。


 1955年に、SILインターナショナル・エクアドル支部が、このプロジェクトに関わるための準備をスタートさせました。 しかしその翌年1956年には、有名な5人の殉教がありました。 ジム・エリオット、ピート・フレミング、エド・マッカリー、ネイト・セイント、ラージャー・ユーデリアンの5人の殉教死です。 彼らの、ワオラニ族への接触、槍による憤死などは、「ジャングルの殉教者」に詳しく書かれています。
 

 それから数年後、殺されたネイト・セイントの姉妹であるレイチェル・セイント(アメリカ・ウィクリフ)は、 準備・訓練を終え、SILインターナショナル・エクアドル支部のプロジェクトとして、 ワオラニの人々へのアプローチを始めました。 ジム・エリオットの未亡人エリザベス・エリオットは、北アメリカで提供されているSILの訓練を受けて、 他の宣教団体のメンバーとして、数年間レイチェルを助けました。 ロシ・ユング(ドイツ・ウィクリフ)、カタリーン・ピーク(アメリカ・ウィクリフ)などもプロジェクトに加わりました。 “ダユマ”という本が出版されていますが、これはダユマという女性が、ワオラニ族から逃げ、外の世界で生きていた中で、 レイチェルと出会い、真の救い主を見いだし、 ワオラニ語への聖書翻訳の中心的な人物として用いられていく人生を描いたものです。日本語に訳されていないのが残念です。

 

 1992年にはこの言語で新約聖書が完成し、6月7日に献書式が挙行されました。 ワオラニ教会のある代表は次のように述べました。 「先祖たちのように、お互いを殺し合い、外の人を殺して、生きる行き方を私たちはしたくありません。 今、私たちは神の言葉が教えるように生きています。 私が小さな子供であったときから、この聖書をいつか手にする時が来ると聞かされてきました。 今、私たちはそれを手にしています。」この献書式には、10ほどの集落すべてから、代表が参列しました。
 

 ワオラニ族では、すでにいくつかの集落で、礼拝がささげられており、他の部族への伝道も進められています。 ネイト・セイントは、福音のために殉教の死をとげましたが、 レイチェル・セイントは福音のために、ジャングル奥深くのワオラニ族の地に住み、 そこの言葉を学び、アルファベットを定め、識字教育を進め、聖書を訳して生き抜きました。 動詞の形態がとりわけ難しい言語で、生活環境も厳しいものがありましたが、主に召された地で生きていきました。 1993年、レイチェルは、癌に冒されていることがわかり、翌1994年11月11日に天に帰りました。 彼女の遺体は、ワオラニ族の地に運ばれ、葬儀には、以前5人の宣教師を殺した人たちも出席しました。 殺しに参加した人々はクリスチャンになり、ある者は牧師になっていました。 村の教会の隣に立てられていた、5人の殉教者の記念碑のそばにレイチャルは埋葬されました。
 

 ネイト・セイントの息子であるスティーブは、子供の頃から叔母レイチェルの働いているワオラニ族の村に遊びにきていました。 彼は、村の子どもたちとよく魚取りをしたり、狩りに出かけました。 やがてスティーブは、かつて父のネイトを殺し、既に牧師になった二人から、洗礼を受けました。 レイチェルの葬儀の時に、村の人々は、スティーブに戻ってきて働いてくれるように依頼しました。 ワオラニの人々の真摯な信仰の姿勢に教えられてきたスティーブは、今家族と共にワオラニの地で奉仕しています。 ワオラニの人々は、「外の人はみな、人食い人種」と信じ、自己防衛のために5人の宣教師を殺しました。 しかし、今や福音によって溝が埋まり、心を開いて主にある交わりが許され、賛美と祈りと礼拝がささげられています。
 

 かつてワオラニで奉仕していたエリザベス・エリオットが、 今年の6月に沖縄の日本伝道会議で講演し、大きな感銘を与えましたが、 「和解の福音を共に生きる」と言うテーマにふさわしい内容でした。 21世紀の日本における宣教の業、日本から外に向けて展開される宣教の業を考えるときに、 教会と伝道団体・宣教団体、教会と教会、教派と教派、福音派とペンテコステ・カリスマ派の間で、 求められていることは何でしょう? それは、福音の力により、聖霊のお働きによって、誤解や偏見から理解へ、理解から和解へと進むことではないでしょうか。 自分の砦に留まり、他への不信感、恐怖心、偏見で閉ざされた心で他の砦にいる人と対峙しているのでなく、 開かれた心で、お互いの溝が埋まるように主に求めていきたいものです。 これこそ、我らの主イエス・キリストが願っておられることではないでしょうか。
 
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● “Flying for Life” へのリンクです。




 

エクアドルのアウカインデアン(ファオラニ族:Waodani)への伝道

2016年1月9日土曜日

 
 
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